美容と健康に悪いランニング生活@仙台

2017年春から美容と健康のためにランニングをはじめました。

走る記録だったり、献血のことだったり、その時々のことを書き残しておくために始めたはずのブログである。が、気がつけば2年近くも放置しているし、過去のログを見れば何度も仕切り直ししているようだし、私の性格がよくよく現れている。ふと思い立って、改めてブログを再開するつもりだが、また三日坊主で終わる気がしてならない。

今回の長きに渡るブログ放置期間中に、仕事や住まいをはじめ私自身を取り巻く環境は大きく変わった。一つ前の投稿で「いつかは大会を主催する側になりたいと考えている」と書いているのだが、その1年後(2023年春)に転職して「大会を主催する側」の人間になっていた。また、今のブログのタイトルは「美容と健康に悪いランニング生活@仙台」としているが、仙台から離れて埼玉県日高市に転居した。なお職場はケロ山町である。(この時点で察しの良い方には職場がわかってしまう)

走ることについても自分の中に大きな変化があった。100kmを超える超長距離を旅するように走るジャーニーランが大好きだったはずなのだが、それ以上に今の自分の心は競技志向に傾いている。決められた時間の中でどれだけ距離を走れたか競う「時間走」を頑張りたい気持ちが強い。この2年間で24時間走の大会を3回走っていて、次のチャレンジは24年2月末の台北だ。ここ数ヶ月ばかり距離を十分に踏めておらず練習不足は否めないが、これまでのPBを更新して220km越え、あわよくば225km(スパルタスロンの優先エントリー枠の国際エントリー基準)を狙いたい。
時間走に取り組むようになってからは、日々走ることを「練習」として捉えるようになった。走ることをただ楽しむだけではなく、どのようにしたら自分はもっと速く走れるようになるのか、走ることと真剣に向き合うようになったのである。時間走の記録向上のためには、楽に走れる速さの底上げ(スピード向上)が今の私には絶対条件となるので、その一環で明日の勝田マラソンにもエントリーしてみた。未だに達成していないフルマラソン3時間切り(いわゆるサブスリー)を人生で一度くらいは…という気持ちもあるのだが。

と、ここ2年ばかりの空白期間のことをサラッと書いてみたものの、果たしてこのブログは今度こそ継続できるのだろうか。次の投稿が26年春…などということにならないようにしたいものだ。

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【23.8.19-20 24時間リレーマラソン神戸大会(頻尿トラブルでトイレ駆込み50回以上)】

先週末は小規模のトレイルランの大会にボランティアとして前日準備〜撤収まで参加した。複数の大会が重なるなど、ボランティアの人員確保が困難を極め、ギリギリの人数での運営となった。一人ひとりの役割は多岐にわたり、様々なことに対して臨機応変な対応が求められるなど、やりがいは大いに感じられれつつも実にタフな大会であった。この大会のボランティアに参加するのは今回で2度目だが、前回にしても今回にしても終わった後の疲労感はそれ相応のものである。

ふと、学生時代のアルバイトのことを思い出す。地元の広告代理店で紹介して頂いた各種イベントの単発バイトをはじめ…何も考えずに淡々とこなす系ではなく、常に頭を使いながら動き続けることが求められる、イベントを回す・運営する側のバイトが好きだった。楽しいというのもあったが、日給1万円くらいが相場で、当時としてはまぁまぁ高待遇だったということもある。全体を見渡して今何をすべきか考えたり、フットワーク軽く走り回ったり、イレギュラーな事態への対応だったり、それなりの場数を踏んで培ったものが、今のボランティアでの活動に生きていることは間違いない。

話を戻すと、もし仮に今回の大会にボラではなく派遣か何かのバイトとして入った場合は何円くらいの働きになるだろうか、などと考えることがある。2日間で1万5千円くらいが妥当だろうか。お金欲しさでボランティアに従事するわけではもちろんないのだが、せめて交通費くらいは実費で支給されないものか、と考えてしまう自分がいるのもまた事実である。

今回のような小規模の大会に参加するボランティアの多くが、大好きでとても素敵な大会を応援したい一心で活動している。それぞれが最大限のパフォーマンスを発揮し、大会の成功に貢献できることを何よりの喜び(=報酬)としている人がほとんどだ。
だが主催者はその良心の塊のような人たちの上にあぐらをかいていてはいけない。ボランティアの彼らがいなければ大会は成り立たない。熱い応援者たちが離れてしまわぬように、主催者もまた努力しなければならない。雇用関係にあるわけではないが、決して「やりがいの搾取」のような事態になってはいけない。

ただ楽しければいいのか、やりがいがあればいいのか。
いつかは大会を主催する側になりたいと考えている自分自身への自戒を込めて。

ウルトラマラソンを走るようになってから、一番思い入れの強い大会。それが小江戸大江戸200kである。初めて100kを越える距離を走ったのが2019年のこの大会。それから4年連続、この時期には200kを走っている。

昨年の小江戸大江戸200kで少し膝を痛めたあとは、怪我らしい怪我もなくこの1年近く走ってきた。ロング走も多く取り入れ、大会に向けてどんどん調子は上がってきていた。体感的には、るんるん気分のまま26−27時間位で走れそうな気がしていた。

結果は序盤から足攣りに苦しみ、しかも人生初の大会で転倒(しかも2回も)したり、前半の小江戸コースでトラブルに泣き、終始楽しくも辛い走りになってしまった。後半の大江戸コースでは、足攣りの後の痛みが最後まで抜けず、筋肉の硬直も酷く、脚が売り切れている感覚はないのに思うように走れないもどかしさを抱えながら走り続けた。

トラブル続きだった小江戸は19年や昨年よりも遅かったが、後半あまり垂れなかったことでゴールタイムは昨年よりも1時間以上早く初の30時間切りを達成。(小江戸大江戸200kのサブ30はちょっとした称号なのである)後半まで脚が残っていたのは、この1年の心身の成長の現れかな、と思う。

と、くそつまらない話を冒頭でだらだら書いてはみたが…。この大会の醍醐味はタイムを競うとかそんなところにはなくて。(速く走れることにも憧れはあるが)大会全体のあったかい雰囲気だったり、やたらたくさんある私設エイドのありがたみだったり、ともに走る仲間たちとおしゃべりしたり、励まし合いながらゴールを目指すことだったりなんだり…。どんなに苦しくてもゴールした瞬間にはまた来年も走りたいと思わせてくれること。これに尽きる。が、小江戸大江戸200kの魅力はまだまだあって、それを語るには私の語彙力ではどうにも伝えきれず、「走った者にしかわからない」としか書くことができない。

超長距離を走るジャーニーランをこれから走ろうと思ってる方には、小江戸大江戸200kは本当におすすめしたい。魅力いっぱいの私の推し大会である。
言葉にはできぬ、心をつかんで離さない何かがあるのだ。
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【2022.3.12 小江戸大江戸200k 和やかな雰囲気のスタート会場】

建国記念日に牡鹿半島をロードで1周100k走ったあとから、どうにも右脚の股関節周りの調子が悪い。尻肉がカチコチに固まって、坐骨神経痛に悩まされている。日々のケアがとにかく大切。



さて、記念すべき「ウルトラ完走Tips」の第一弾。
果たしてこのままシリーズ化できるのか。

今回の要点はこちら。

・私のログは全くあてになりません。
・フルマラソン4時間半で走れる走力があれば100km完走できる。
・一度に走る距離より走る頻度を上げろ。



ウルトラマラソンを走るようになってよく質問されることの一つに、月間何キロくらい走っているのか、というものがある。私もウルトラマラソンを走り始めた頃は、諸先輩方がどれくらい走るのか気になっていた。というわけで、今回は走る「距離」について書いてみる。

2018年の12月までは時計を持っておらず、スマホでログを取ることもしていなかったので、毎月どれくらい走っていたのか正確なことは分からない。2018年末の時点では100km未満のウルトラマラソンを3回走って、3回とも完走している。(55k、78k、95k)
その頃の頻度と距離は、週1〜3回。一度に走る距離は5km〜15km程度で、休日に20〜30km程度のロング走(と、当時は呼んでいた)を月1,2回程度。月間ではおそらく100〜150km程度。
一番古いログを見ると、月ごとの走った回数と距離は次のとおり。

 2019年
 1月:6回 計130km
 ※2月に控えた200kmのウルトラを前に30km程度のロングを数回

 2月:7回 計372km
 ※愛媛マラソン(フル)、小江戸大江戸200k含む

 3月:3回 計63km
 ※東北風土マラソン(フル)含む

 4月:7回 計230km
 ※山寺蔵王ウルトラマラソン100k含む

大会を除けば、びっくりするほど走っていない。というのも、17年〜19年はとにかく脚の故障が多く、膝や足首にいつも不安を抱えていて、満足に走れたことのほうが少ない。フォームを見直して、コンスタントに走れるようになったのが20年春以降。20年は少ない月で150km、多い月で400km、均すとだいたい250kmまで月間距離が伸びた。21年は350km程度に伸び、22年は400〜500kmにしていく予定。

では、ウルトラマラソンを完走するためには月間どれだけ走ればいいか、という問いに対する答えは、これが非常に難しい。私個人の感覚的には、フルマラソンを4時間半くらいで走りきれるだけの走力があれば、100km程度までの大会はおおよそ制限時間内に完走できうる、と思っている。よって、フルマラソンをいつでも4時間半くらいで走りきれる状態を保てる距離を踏めていればいいんじゃないか、と。じゃあ、その距離ってどれくらい?というのは、人それぞれなのでなんとも言えない。ただ「(特別な調整なしに)フルマラソンを4時間半でいつでも走れる」ために踏む距離(練習)と捉えるほうが、漠然と100km走るための練習をどうするか考えるより、日々の練習のイメージはしやすいのではないだろうか。そもそもこの4時間半という考え方が乱暴極まりないのだが、意外と的を得ているんじゃないかと。どうだろうか。

フルマラソン4時間半という一つの指標ができると、月間距離や、一度に走る距離なんかも見えてくる。20kmや30kmといったロング走をたまにするにしても、50kmとかそれ以上の距離を走る必要はない。50km走をすることで疲労がたまり、その後しばらく走れなくなるくらいなら、やらないほうがいい。1回の距離を伸ばすことより、走る頻度を増やすほうが良い。基本的にはフルマラソンに向けた練習とそれほど変わらない。完走目標であればスピードを上げる必要がないので、強度の高いスピード練習を取り入れる必要性は低い。そのかわり、少し長めのjog中心のメニューを勧めたい。
もっと極端な話をすると、完走目標なのであれば、月間距離に囚われる必要はないし、練習プランを考える必要だってない。前述の走力がすでにある人ならば、気が向いたときにエイヤーと走る程度の練習でもウルトラマラソンは走れる。とはいえ、コンスタントに距離を踏めている方が、大会後のダメージからの回復が早いことは間違いないだろう。

ここまでずいぶんといい加減な話をしてきた。所詮、距離とは走る上での一つのものさしに過ぎないのである。と、今回は「距離」にだけスポットを当てたが、「時間」を意識することも大事だ。次回は「時間」について少し掘り下げていきたい。

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【22.02.11 牡鹿半島1周】

(24.1.27追記)
やはりシリーズ化はできませんでしたね。
というよりもブログそのものを放置しちゃいましたね。
今後、気が向いたら「時間」に着目した#2を投稿する…かもしれません。

フルマラソン(42.195km)よりも長い距離を走るウルトラマラソンの大会に出るようになって4年近くが経つ。決してスピードがあるわけでも、特別何か秀でた能力があるわけでもないが、出走したウルトラマラソンやジャーニーランの大会ではDNFすることなく全てゴールまで辿り着いている。

この4年近くの間に蓄積された私の経験(完走するためにやったこと)は、これからウルトラマラソンに挑戦したいと考えているランナーへの一助になるんじゃないか?そう思って、標題のような記事を書くに至ったわけである。とりわけ競技人口の少ない私と同世代の20代、30代のランナーにウルトラマラソンの魅力を少しでも伝えられれば嬉しい。

私の性格上、シリーズ化できるのかは甚だ疑問だが、自分自身が壁にぶち当たったときに初心に立ち返るための備忘録としても活用できたら、などと考えている。体系立てて書こうとか、そういうことまで考え始めるときっと嫌になるので、思いついたときに書きたい内容を不定期に更新していく。

記事の内容は、走るときの心得的なもの(精神論)、練習メニュー、服装や携帯するアイテムのこと、大会当日の過ごし方、などなど。なんでも書くが、初めてウルトラを走るランナー向けの内容が中心になる予定。

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【2018年9月 みやぎ湯めぐりウルトラマラソン95k】

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